第62回 貧困問題オンラインセミナーに参加しました

昨日、2025年9月30日(火)夜、オンラインで開催された「第62回 貧困問題オンラインセミナー」に参加しました。テーマは 「権利としての生活保護」~桐生市事件と『いのちのとりで裁判』が問うもの~。講師には、一般社団法人つくろい東京ファンド代表理事であり、ビッグイシュー基金共同代表、長年住まい・困窮支援に関わってきた稲葉 剛さんが登壇されました。

もともとこのセミナーは、貧困問題に関心を持つ人たちにとって定期的な知見交換の場となっており、今回も多くの参加登録があったようです。足立区議会議員のおぐら修平さんの司会も、温かみのある言葉で始まり、関心を抱く人を繋ぐ役割を担っていました。

以下は、講演内容の要点と私の気づき・感想を交えた整理です。


桐生市事件と“権利”の視点

セミナーではまず、桐生市事件の概要が紹介されました。この事件は、群馬県桐生市の福祉事務所が、生活保護申請者や受給者に対し、法律が定める保障を逸脱・ねじ曲げた運用を行ったとして、過去数年にわたって批判を浴びてきたものです。

具体例としては:

  • 保護決定後も支給を遅らせたり、分割支給を行ったりしたケース。たとえば「1日千円」しか窓口で支給しない、という運用が行われていたという報道があります。

  • 生活保護申請や受給の権利を事実上制限するような手続き操作や、不透明なハンコ管理(利用者の同意なく印鑑を押す等)など。

  • 利用者数の急激な減少。過去10年でその数が半分近くにまで落ち込んだという報告もあり、制度の運用が萎縮してしまっていた可能性が指摘されています。

  • 市当局が第三者委員会を設置し、組織的な認識の問題を反省し、申請権侵害や不適正業務運用を認めた報告も出されています。

これらは単なる “運用のまずさ” を超え、公共福祉制度における “権利保障” の核心を問うものとなっています。

また、講演中には「水際・硫黄島作戦」という用語も登場しました。これは、生活保護申請を受け付けた後で辞退書を出させるなどして“保護を打ち切る”ような運用を指すメタファーです。戦時の軍事作戦になぞらえて、旧日本軍が米軍を硫黄島に上陸させた上で迎撃を図った作戦にちなんで呼ばれています。

このような運用を前提にすると、憲法25条が保証する「健康で文化的な最低限度の生活を営む権利」と、生活保護法の趣旨そのものが空洞化してしまう懸念があります。


稲葉 剛さんの語りからの問い

稲葉さんは、桐生市事件を通じて「制度」と「現場運用」の乖離に焦点を当てられていました。たとえ法律や制度が整っていても、そこに携わる自治体・福祉事務所・職員一人ひとりの倫理・認識・組織体制によって、実際に人が受ける支援は変わってしまう、という厳しい指摘です。

彼はまた、「権利としての生活保護」という視点を強く打ち出しました。保護を“慈善”や“補助金”の延長として扱うのではなく、憲法・法制度に根差した国家責任として保証すべきものとして捉え直す必要性を訴えていました。

講演中には、こうした話を聞きながら思ったことがあります:

  • 制度や法律だけが正義を担保するわけではない。むしろ、個々の現場判断や人間関係、組織文化が「実際の権利行使」を左右するという現実を、改めて知らされました。

  • 利用者・申請者の側に「辞退届を書かされた」「支給が遅延した」「窓口で威圧された」という声が実在する。制度が空洞化すると、それらの声が覆い隠されてしまう。

  • 桐生市だけの事例ではなく、全国各地に似たような運用の「氷山の一角」が存在する可能性がある。その意味で、制度設計と運用実態をつなぐ“監視と検証”の仕組みが不可欠だと感じます。

また、セミナー後半の質疑応答でも、参加者から「地方自治体の裁量範囲と国の責任のかかわり」「再発防止策として何が現実的か」「制度の見直しをどう動かすか」など鋭い質問が相次ぎ、稲葉さんも丁寧に応えておられました。


感想と展望:制度の外皮を越えて

このセミナーに参加して改めて感じたことは、制度を正すだけでは十分ではないということです。制度には“きれいな理念”が掲げられていても、それを運用に落とし込む人々の認識、組織構造、日常的な業務慣行が腐食していれば、「権利」は絵に描いた餅になってしまう。

そして、今回のような講演会が持つ価値は、そういった制度と運用の狭間にいる「当事者」や「現場」を可視化する点にあります。わたしたち受講者は、ただ知識を得るだけでなく、問いを持ち、制度と対話し、支援の在り方を自ら考え続ける責任を与えられているように感じました。

特に印象に残ったのは、権利という視点の力強さと同時に、その権利を「日常的に守る」ための実践・制度・監視のシステムがいかに脆弱かという課題です。桐生市事件が示したのは、権利を保障する制度を前提としながら、その裏側で起こる制度操作・運用のねじれこそが、声を上げにくい人々をさらに追い込んでしまう、という現実です。

このような講演・学びをきっかけとして、私は以下のような問いを胸に抱いています:

  • 私自身、支援・福祉に関わる立場であれば、どこまで「制度外皮」と向き合えるか?

  • 現場で働く人たちの意識や倫理を支える仕組み(研修、モニタリング、評価など)はどうつくられるべきか?

  • 地方自治体と国の責任分担、そして市民の監視・参加をどう制度化できるか?

  • 桐生市だけで終わらせないために、「制度運用の公開性・説明責任」をどのように制度化できるか?

今回の第62回セミナーは、単なる講義ではなく、制度と人間性の間で揺れるリアルな問題を真正面から問う場でした。ふだんニュースで見聞きする“問題”の裏側を、リアルな声とデータと事例を通じて重く受け止める時間となりました。

素晴らしい企画を実現いただきありがとうございました!


 

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